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ゲシュタルト療法の哲学


  ゲシュタルト(ゲシュタルト療法)のカウンセリングには、哲学的背景がある。それをまずわかりやすく紹介しましょう。





   まず、カウンセリングと聞くと、何か悩みや問題がありそれを解決したいときにするものだと思っている人が多いと思いますが、ゲシュタルト療法は、「実存主義」がベースになるので、その人が自分の人生を歩む方向をサポートします。





  実存とは社会的価値観や評価に左右されること無く自分自身の存在を認め、自分らしく生きることです。 そして「我-汝」の実践。われわれは存在としては平等で互いに尊重されるべき存在なのです。(われわれのグループでは、殆ど「先生」という呼び名を使いません。―もちろん強制はしませんが―上下関係を作らない。)そこを大切にしますから、クライエントに対して、教育や指示、アドバイスをしません。





  「じゃ、何にもしてくれないの」と思われそうですが、あなたの持っている”今は見えてきていない能力”を引き出すお手伝いをするのです。その点では他のカウンセリングとは違う所でしょう。





  更に、多くのゲシュタルト療法カウンセリングは、グループですることが多い。その効果として客観的に自分を観ることが出来る、グループのメンバーと共感、共有できる。小さな社会がそこで作られ時には、グループのメンバーと共同作業をします。今までの私の経験上、個人の場合よりクライエントの気づきが深くより大きくなっているのを見てきています。 「現象学」についてですが、クライエントの抱えている問題の原因を探したり分析したりはしません、「今ここ」で起こっていることだけを扱うのです。更に、犯人捜しもしません。自分自身がどう生きていくかを見ていくのです。 また、「現象学」では相手のことが分からないと言う前提で進めていきます。意外に思われるかも知れませんが現実は、他者理解そのものが幻想?(100%分からない、分かったつもりで居る)のです。





  例えば映画を観に行き2人で「面白かったね。」と2人が言えば共通理解したと考えるが、その詳細は全く同じものなのでしょうか?一度試して見てください。





   従ってわれわれはクライエントを、理解できる努力をします。そのためにこちら側の価値観や分析をしないで置きます(エポケー)。そしてそこで現れたことだけを扱います。例えば、クライエントが涙を流しているときには、「悲しいですね。」と判断せずに、「涙が流れていることに気づいていますか?」と声をかける(記述)そういう風な関わりをしていくのです。





  後は、「ゲシュタルト(統合)」の意味するように、身体の「現象学(主にメルロポンティから)」も他のカウンセリングでは無い特徴です。言葉よりも身体の表情・表現を重視します。例えば、悲しい話しをしているのに顔が笑っているなど、言動が一致しない時はそれを取り上げます。





  常に「今ここ」で起こっていることを扱います。





  では、主な現象学、実存主義の紹介をします。 ゲシュタルト療法は、人が「自分らしく生きる」こと、自分にとって最良の「選択」が「自由」にできる自分自身でいること、そして、自分の周囲の人々や環境と好ましい「関わり」を持つ自分自身になることを目指す心理療法である。その哲学的背景を現象学、実存主義に置いている。





  実存主義の祖とされる、S・キルケゴール(1813年-1855年)は代表的な著書『死に至る病』で、「真理は人間が自分自身で行動を表すときのみに存在する」として、自分自身でいないことは、まさに「死に至る病」としている。 ゲシュタルト療法に最も重要なことは、ファシリテーターが、クライエントの真の主体性と向き合い、クライエントと共に「あなた自身が、あなた自身を生きる」ことを歩んでいくことをサポートしていくのである。なぜなら、それが「あなたの真実」だからである。





   F・ニーチェ(1844年-1900年)の、かの有名な言葉に「神は死んだ」があるが、すでに作られた価値観である善悪、常識、など社会規範ではなく、自分自身を生きるのだと述べている。それは「他人の視線」に操作されず、本当の自由を勝ち取ることが重要とされる。





  M・ブーバー(1878年-1965年)の哲学は「対話の哲学」と言われる。私たちは、日常生活で人や物事と第三者的な「それ」と関係を持つことが多いが、「我-それ」という関係ではなく、「我-汝」という立ち位置を持ってこそ、精神的存在としての奥深いところで触れ合うことが出来る。「我-汝」の関係性はゲシュタルト療法の柱の一つである。徹底的に自分と向き合い、ただ一つの存在としての魂と、クライエントという一つの魂の向き合う真に水平(平等)な関係を実践する。





   J・サルトル(1905年-1980年)の「実存は本質に先立つ」と云う言葉は、それまでの(主に西洋文化の)思考を180度転換させたともいえる。たとえば「長男に産まれたから家を継ぐ」など、それまでのように人のあり方を先行させるのではなく、人間存在は自由であり、自分が自分の人生を選択することを説いている。





  これらの影響を受け、ゲシュタルト療法の始祖F・パールズらは、「今ここ」の実存として人を見る。 後に、パールズ夫妻はクルトゴールドシュタインの研究所で出会うが、ローラは実存主義の他にも現象学も学んでいて、ここから彼らは現象学の影響を強く受ける。





   現象学を開いたE・フッサール(1859年-1938年)は、そのものの「存在」と「現象」を分析研究する立場である。キーワードとなるのは「現象学的還元」と呼ばれ、それは<われわれは世界の中に共にいるのでこれに気づくことは難しい。この共犯的関係(共にいること)を拒否することで、外から眺め、常識や諸確信(自然的態度)を横に置いて向き合い>他者との間に立ち現れる「現象」をみていく態度をとる。そこに立ち現れている様々な事柄はそのモノ以外の何者でも無い。従ってその観点から、ファシリテーターは、「エポケー」(判断停止)つまりあらゆる先入観をよそにおいて、「地平化」(クライエントのどの言動すべてをも同じ比重としてみる)することをすすめていく。そこで、あるがままに見る練習の一つとして「3領域の気づき」などを行う。





   他に、M・ハイデッガー(1889年-1976年)、M・メルロ=ポンティ(1908-1961年)からは、人間存在を「世界-内-存在」つまり、「われわれはこの世界に投げ込まれた存在とする」や、「あらゆる人間的活動の母体は現象的身体であって」「人間の身体は感覚の共同体<ゲシュタルト>である」ゲシュタルト療法が、身体性を重視するのは「身体はこころの表現として表れる」ので、言葉だけではなく身体の声を聞くなど、身体性を重視する。





   以上、これらは現象学・実存主義のほんの一部なので、実際にこれらの書籍を。


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